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あしあと

    校歌の誕生について

    • 更新日:2014年9月1日
    • ID:852

    校歌作曲 小木曽薫

     昭和26年2月10日制定の北和中学校校歌は、次のような過程を経て誕生しました。
    国語部会の先生達が中心となり、全国的な規模で、歌詞を募集しました。
    北方と大和の組合立として出発した北和中学校は、恵まれた環境に設立され、ここに教えられ恵まれる生徒のしあわせを最高に願う心よりそうしたのです。
    たくさんの詩の中から選ばれたのが、戸枝弘さんの詩でした。
    詩の内容が学校のイメージにぴったりだったのだと確信致します。
    この詩を作曲の面でも活躍されよく知られていた岐阜大学の小木曽薫先生に、御田村正巳校長が作曲を依頼されました。
    その楽譜を頂きにまいったのが、音楽担当をしていた21歳の若い女教師の私でした。
    岐阜市長良にお住まいになっている先生のご自宅にお伺いして、先生のピアノ伴奏で未知のメロディーを歌わされ、ドキドキして歌った事が今でも想い出されます。
    さいわい、先生の奥さんが、すばらしいソプラノで歌って下さったので、知らず知らず引きこまれて歌って、すっかり覚えました。
    その時、先生が「僕が行かなくても教えられるね。貴方とっても筋が良いよ。」と言われたことが今でも忘れられません。
    先生から渡された楽譜を家で写譜して、学校長には小木曽先生の伝言をお話致しました。
    早速手書きの下手な楽譜をガリ版印刷し、生徒に教えながら歌いました。
    この校歌は歌詞もすばらしいのですが、メロディーが実に美しく、リズムが良く、躍動感があって歌いやすいし、伴奏も和声の美しさがにじみでていて本当に、良い校歌だと思います。
    さすがに詩がよく生かされた作曲だと思います。当時楽しく教えられたと思います。
    亡き御田村正巳校長先生、小木曽薫先生のご冥福をお祈りいたします。
                                         原 妙子 (旧姓 林)