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あしあと

    揖斐城跡

    • 公開日:2022年4月20日
    • 更新日:2022年6月16日
    • ID:10779

    揖斐城跡

     揖斐小学校の背後に、標高223mの城台山があります。「城の台となった山」という意味でしょうか。そう…この山の頂上の尾根にはその昔、山城(やまじろ)がそびえていたのです。揖斐城です。

     揖斐城は、中世・南北時代の興国(こうこく)4年/康永(こうえい)2年(1343)に、この地の支配者であった土岐氏一族の土岐頼雄(ときよりかつ)によって築かれました。土岐頼雄は築城後、揖斐氏を称し、揖斐頼雄(いびよりかつ)と名乗りました。

     城といっても当時の城は、石垣や天守を持つ豪華な造りの近世の城とは違い、急峻(きゅうしゅん)な地形を利用して、土と木材を主体に造られた質素なものであったと推定されます。

     以来約200年間、揖斐氏城主6代※にわたって山城として利用されていましたが、室町時代後期の天文(てんもん)16年(1547)に戦国武将・斎藤道三(さいとうどうさん)に攻められ、城は無くなってしまいました。

     なお築城者の頼雄は、揖斐川町大光寺にある臨済宗の寺「大興寺(だいこうじ)」を創建したことでも知られ、頼雄の墓所は大興寺内にあります。

    ※ 注:頼雄-詮頼(あきより)-友雄(ともかつ)-基春(もとはる)-基信(もとのぶ)-光親(みつちか)(養子)

    第一期揖斐城(1343~1547)推定復元模型
    製作:揖斐城同好朋友会
    (揖斐川歴史民俗資料館蔵)