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夏揖斐川背景

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揖斐城跡

ページID:0002430 更新日:2026年1月19日更新 印刷ページ表示

揖斐城跡

 揖斐小学校の背後に、標高223メートルの城台山があります。「城の台となった山」という意味でしょうか。そう…この山の頂上の尾根にはその昔、山城(やまじろ)がそびえていたのです。揖斐城です。

 揖斐城は、中世・南北時代の興国(こうこく)4年/康永(こうえい)2年(1343)に、この地の支配者であった土岐氏一族の土岐頼雄(ときよりかつ)によって築かれました。土岐頼雄は築城後、揖斐氏を称し、揖斐頼雄(いびよりかつ)と名乗りました。

 城といっても当時の城は、石垣や天守を持つ豪華な造りの近世の城とは違い、急峻(きゅうしゅん)な地形を利用して、土と木材を主体に造られた質素なものであったと推定されます。

 以来約200年間、揖斐氏城主6代※にわたって山城として利用されていましたが、室町時代後期の天文(てんもん)16年(1547)に戦国武将・斎藤道三(さいとうどうさん)に攻められ、城は無くなってしまいました。

 なお築城者の頼雄は、揖斐川町大光寺にある臨済宗の寺「大興寺(だいこうじ)」を創建したことでも知られ、頼雄の墓所は大興寺内にあります。

※ 注:頼雄-詮頼(あきより)-友雄(ともかつ)-基春(もとはる)-基信(もとのぶ)-光親(みつちか)(養子)

第一期揖斐城(1343~1547)推定復元模型の画像
第一期揖斐城(1343~1547)推定復元模型
製作:揖斐城同好朋友会
(揖斐川歴史民俗資料館蔵)


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